※ネタバレあり。酷評記事のため、今作が好きな方は参照注意です。

 本気で仕切り直すつもりなのだと言うことは伝わってきます。所々の描写に、今までの負債が伸し掛かってくるように感じられるのが、本当に気の毒になってくるくらい。
 あと、スタッフの方々、というか今回の脚本とか演出を担当されていた方は、キュアフェリーチェの加入をあまり歓迎したくないと言うことなのでしょうか。なんか彼女が登場してからがくっと面白くなくなった気がします。邪推してしまうけど、こういうのって秘密にしておいた方がアニメ制作スタッフにとっては精神衛生上望ましいのではないかって気がします。
 もったいぶるだけもったいぶって、みんなびっくりするだろうなと内心ほくそ笑みながら制作して、驚きをかっ攫っていく。それって制作者の矜持を担保するものだと思う。まあ自分は制作者じゃないので、勝手にそう想像するだけなのですが。

 とりあえず、あくまでみらいたちにとっての狭い世界を守るという態度を崩すつもりはないと言うことはわかりました。だけどそれって、使命を与えられた際の反駁として、「日常を守ること」の尊さを示さないと意味が無いように思います。
 じゃあそれをどう示すのかって話になると、確かに難しいのですけど。でも校長が使命を与えて、それにはっきりとわからないと意思表示をして、その後自分の日常を守る決意をして、校長が「そういう考え方もあるか」と納得する。みたいな話の流れって作れなくもなかったように思うわけで。
 まあ、こんなことスタッフの方々が思いつかないはずがないので(集合知を甘く見てはいけない)、小難しい話になるのを避けたのかも知れません。……もしみんなで話し合っていないなら、早急に話し合うべきだと思います。いや、本当に。上記のことだけじゃなくて、キャラクターとストーリーの認識合わせとか。こんなところで書いても無駄なのですけども。

 一応先に書いておきますが、頭が痛くなるような描写は無かったです。ていうか、相当面白かったです。でも以前ナシマホウ界編で仕切り直して、がっくりときた覚えがあるので不安感は拭い去れていません。
 とりあえず、みらいの屁理屈は今後、描写されないことを本当に切に願っています。
 4話の頃は、リコがみらいと違って考えすぎること、それが後々長所として発揮されることもあると期待していました。てか、期待していたみたいです(ちょっと最近自分の感想を読み直しました)。とりあえず今は、それは置いておいて倫理観の破綻だけしなきゃいいやくらいに思っています。
 でもそれはそれで、あらすじの後は感情開けっ広げに書きます。

++あらすじ++
 はーちゃんがいなくなったことで上の空の二人。
 リコも学年一位の成績を取ったというのに浮かない様子。

 校長は薬膳茶で元通り。リンクルストーンエメラルドの行方を捜しているが、反応はないという。
 一方大いなる災いについても、調査をさせている模様。リコのことを心配しているところを見ると、恐らくはリコの父親に。

 はーちゃんが見つからないことでみらいも空元気である。
 そしてリコははーちゃんを見つけることができるよう、魔法を勉強するために魔法界へ帰る決心をするのだった。

 忌まわしき災いが蘇ることをキャシーは察知していた。それと同時に大いなる輝きも現れることも。
 すると魔法のランプから魔人が登場したらしく、ヤモーを尻尾から復活させる。

 ヤモーはドクロクシーの骨を拾い、プリキュアたちに戦いを挑むのだった。
 ドクロクシーの力を持つスーパーヨクバールは強力で、プリキュアは歯が立たない。

 その中、はーちゃんが現れてエメラルドの力を用いて変身し、スーパーヨクバールを撃退するのだった。
 最初、二人はそのキュアフェリーチェがはーちゃんだと気付かなかったが、抱きつかれる際にはーちゃんだと気付いたのだった。
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 恐ろしくあらすじを書きづらかったのは何故なのか。これ多分、みらいとリコに関して、本筋に関わる情報のほとんどが過去形で提示されたからだと思います。
 リコが学年一位だった。はーちゃんの行方を探したが見つからなかった。前者はともかく後者って、しっかりとその場面を描いておくべき部分だと思います。
 穿った見方をしていることはわかっているのです。しかし、今までのリンクルストーンの見つかり方を考えると、本当に探したのかどうか疑わしくなってしまうと言うか。トパーズみたいにひょっこり現れるとでも思っていたのではないかとか、考えてしまいます。実際はーちゃん、ひょっこり見つかるし。
 はーちゃんは二人にとって大切な存在であるらしいので、一応本当に探したのだろうとは思います。ただ、お世話していたのが主にモフルンだったせいで、説得力が足りないって言うだけの話なのです。
 もうこの際、この先視聴するに当たっては、二人もしっかりとお世話をしていたと思い込んだ方が気楽なのだと思います。

 今回のはーちゃん捜索部分については、みらいやリコが悪いわけではないと思うのです。要は、こういう描き方しかできなかったスタッフの方々を責めるべきなのだろうなと。一枚絵でも良いから、探している場面を二つ、三つ用意するだけで、ここの印象は全く違う物となったに違いないのです。
 でも、この「はーちゃん捜索」について考察するのって、実は危険なんですよ。
 二人がどのような探し方をしたかは、描いていないからわかりません。想像するならば、魔法界においては「妖精を見なかったか」と訊ねたであろうと思われます。
 二人は成長したはーちゃんの姿を見ているはずですから、特徴も一応は話せるはずです。ただ、今回一目見ただけではーちゃんだと気付けなかったところを見ると、去り際に成長したことを忘れていたのですよね。ネグレクトが捗ります。まあそこら辺はどんな特徴を教えようと、魔法界にはーちゃんはいないのでどうしようもないわけですが。
 で、探したというのがどの範囲なのかは示されていませんが、恐らく魔法界のみであると思われます。何せ、厄介なことにはーちゃんはリンクルストーンみたいに無生物じゃないのです。ナシマホウ界で一所懸命捜索なんかしたら、はーちゃんに見つけられてしまいます。
 それと、捜索にあの「行きたいところへ行ける扉」は使用できなかったのでしょうか。恐らく使えなかったのでしょう。校長が水晶の力でエメラルドを探しても見つけられなかったのですから。同等程度の捜索能力があると仮定した上での話ですが。
 それか、はーちゃんが見つからないのは、あるいは夏になるほどの年月の経過で、ようやく姿を現すことができたということなのか。だからいくら探しても見つけられなかったとか。描写されていないため全部が妄想になります。
 そんなわけで、あんまり考えると闇に飲まれるのでこの辺にしておきます。切りが無い。

 てか、校長のここら辺の発言も気色悪いんですよね。はーちゃんの行方ではなく、案じているのはあくまでエメラルドという意思が感じられてしまう。そりゃあ、災いの調査を依頼している人物との会話ですから、事務的になるのもわかるっちゃわかるのです。でもなんか、もどかしい。心配くらいすればいいのにと。前回前々回の大立ち回りにけちが付くような描写だと思います。重箱の隅をつつくようではありますが。

 みらいの母親がみらいのことを気遣っている描写は良かったですね。みらいが空元気を出しているのを察知していたのは、良かったと思います。
 ただ、ここのみらいの母親の、「みらいの成績も上がった」という発言が妙に気になりました。みらいは1話の段階では勉強が苦手な設定になっています。それが、話が進むにあたり「数学のみ」となりました。だけどこの母親の発言を考えると、どうも数学以外にも苦手科目があるかのような言い方をしています。
 本当に穿った見方だとは思うのです。ですがこれ、今回22話を書かれている脚本家さんにとっては、もしかするとみらいは勉強が苦手という設定が生きているのではないでしょうか。
 だってそうしないと、みらいの母親はみらいを放任主義にしているのに、より成績が良いことを要求する人になってしまう。普通、そんな気持ち悪いことはしないはずなのです。でも今作はそういう描写が異常に多いです。で、ちょっと思ったのですが、もしかすると脚本家ごとに設定が別々に存在するのではないかなと。
 ……ここら辺、もしかすると調べる価値があるかも知れません。ものすごい労力かかりそうなので、調べられそうにないですが。

 ていうか、今回の話ってめちゃくちゃ今までの話のフォローが入っていたわけです。
 無論、フォローを入れるのは良いのです。だけどその方法が、当時その行動をした本人の思いや頑張りを無駄にする方向でされるのが、すごくもどかしいです。
 ・校長が魔力使って老けたけど、薬膳茶を飲んだから大丈夫。
 ・校長がヤモーをかばったために尻尾が切れた。その尻尾のせいでヤモーが復活した。
 本当にこの描き方で良いとスタッフの方々は思ったのでしょうか。これ、普通なら誰か止めるべき部分だと思うのです。
 だってこれ、蓄えていた校長の魔力の価値も思い切り下げています。これなら前回エメラルドの光を浴びたら魔力が復活したとかでも良かった気がします。そうすればエメラルドの強力さも示せたように思います。まあそんなことするとフェリーチェに癒しの力まで持たせないといけなかったりといった弊害も生まれるため、あまり良い案ではないのでしょう。だから難しいところなのかなと。
 なので、魔力のことは良くないけど良いと勘違いすることにして、つまりはヤモーが復活したのは校長やモフルンが部分的に悪いって事になってしまう。これが良くないと思います。

 きっとヤモー復活の原因が校長やモフルンにあるなんてこと、作中で描写されることはないでしょう。21話でドクロクシーに進んで吸収されようとしたヤモー、それを止めようとした。その結果、ヤモーは自分の尻尾を切り捨てて、ドクロクシーに吸収された。そのためにヤモーは復活し、プリキュアたちを苦しめている。
 この事実が明かされた場合、校長とモフルンは何かしら罪悪感を覚える恐れがあります。復活させたのは新たな悪の勢力ですから、直接責任があるのは二人では当然ありません。でも、加害者意識とはそういうものです。
 そんなことさせるわけにはいかないから、描かれることはないのです。全てはプリキュアの知らないところで起こったこととして済まされるのです。
 だったらボロボロになったヤモーが横たわっていて、新たな敵に力を注がれて復活。尻尾は自分で見つけてくっつけるっていう感じで良かったんじゃないの。そんな風に、素人考えでは思ってしまいます。こうすればヤモーを止めようとした校長とモフルンの思いやりは、無駄にならなくなりますし。
 ついでに、校長が若返ったことに対しても、「蓄えていた魔力とは何だったのか」という言及はされないと思われます。校長先生、本当に気の毒です。
2019年1月3日追記:
 何が言及されないのでしょうね……。読み返してみて、筆者自身にもわかりません。多分お茶で若返ったことを書いているのでしょう。
 良いと勘違いするとか書いていますが、勘違いしきれなかったのですね。

 
 ちなみに、もしこの先上記のことに言及があったとしても、筆者は感心しないであろうと思います。それは異常が正常に戻っただけだからです。
 今回のリコの「魔法界へ戻る」という決意にしたって、発言しただけになってしまいました。はーちゃんが戻ってきたことでうやむやになってしまったのです。ていうか、はーちゃんの成長した姿を度々出したせいで、本当にここら辺の描写が茶番になっています。
 どうなっちゃうのだろうという不安を出させないための話作りが逆に、先にわかっていたら台無しだろうというストレスを生んでいる気がします。

 当面の、プリキュアが戦う目的を明確にさせていましたね。
 木々が枯れることでは無く、ヤモーの目的がエメラルドであると提示された部分がそれだと言えるでしょう。ここら辺、本当にまほプリだなあと納得できる心持ちになりました。
 はーちゃんの持ち物であるエメラルド、それを奪おうとするヤモー。そんなことはさせないとプリキュアは対峙する。そのような、徹底的な個人的理由となっています。恐らくですが、ここって今作の絶対に譲れない部分なのでしょう。
 ともかくこの明確化はすごく、ものすごく良いことだと思います。わかりやすいです。というか、今までこれくらいのことさえ明確化されていなかったので、戦闘の理由が訳わからないことになっていたのだと思います。
 「いい加減にして!」と、みらいが言っているのは前回から継続しての物です。ですが「はーちゃんを見つけると決めたのを、邪魔しないで」と、リコまでみらいと同じようなことを言い出していますが、別に構いません。4話を見ていた頃の私が視聴したらがっかりしていたと思いますが、今作の雰囲気を色々察した今の私にこれは効きません。むしろ確固たる一貫性が出てきたことに、安心感すらあります。
 恐らく魔法のランプから復活した魔人は、ヤモーという前座がいなくなったら本格的に動き出すでしょう。骨の数から言って、残り4回でしょうか。
 ヤモーが「何という茶番」と言っている場面は、本当に茶番だと私も感じてしまったので何も言えません。笑顔でいないとはーちゃんも笑顔で戻ってこられない。何というか、ふんわりとした印象しかないです。とりあえずヤモーは明確に対立者としての立場に立ったなという印象です。ここまで対立させたのなら、あっさり退場させてしまうとまた戦闘の理由がふわふわしてしまいそうです。
 ともかくこの魔人の働きかけにプリキュアたちがどのような反応を示すのか、それがすごく不安でもあり楽しみでもあります。果たして彼女たちは最後まで個人的理由で戦い続けるのか、それとも使命感を持つのか。

 そう言えば魔人が復活したのって、ランプが既に壊れていたからということで良いのでしょう。駆けつけたときには、既に復活した後だったと。

 あと、戦闘に違和感がなかったわけではありません。クシィを善人のように扱う回想は、本当にどうにかならなかったのか。みらいが「大切なみんなとお別れなんて嫌」みたいなことを言っていますが、少なくともクシィに関しては校長だけが憂う権利を持っていると思います。
 てか、リコの一応の性格を考えると、こういった事情は徹底的に調べそうな気がするのですよね。予習復習しておけば学年一位にもなれると発言しているわけですから、そんな勉強熱心な彼女が魔法界でかつてなされた予言について調べないはずがない。そのはずなんですが、調べているはずがないという謎の信頼感があります。描写されてないので判断できません。

 キュアフェリーチェ登場からの戦闘は、今までの中で一番見栄えしたと思います。戦闘時の特殊エフェクトって本当に素敵だと思う。ジャンプしたりする際の波紋まで花の形とか、徹底しています。
 打撃で花びらが舞うのって、見ていて本当に楽しい。……前作もそうだったので避けようがないので書いちゃいますけど、キュアフローラの打撃エフェクトが花びらって言うアイデア、本当に見栄えすると思います。それを取り入れたのは、本当に大正解だと思うわけです。キュアフェリーチェのプレミア感が増している。
 良いと思った物は進んで取り入れて良いと思います、個人的には。
 ……てか変身バンクの絵コンテ描いたのタナカリオンさんだったんですね。初見は気付きませんでした。見直したとき少しだけ似ているかなと思いましたが、なるほどと言ったところ。可もなく不可もなしといったところじゃないでしょうか。最後のポージングはすごく感覚的に微妙ですけど。ダサいと言うより、なんかとりあえず変なポーズだなあと言う。何かコンセプトがあるのでしょうか。
 自分の力に対してまだ戸惑いというか、きょとんとしたというか、受け入れ切れていない表情も良いですね。新規追加の戦士の戦いっぷりは毎回何だかんだで楽しいです。
 ただ何となく盛り上がりきれないのは、前述した通り先出し情報のせいだと思います。
 あと、せっかくミラクルとマジカルが決意して立ち上がったのに、割り込む形で登場するのもあまり良くないと思います。だから決意を無に帰するのはやめろと言いたい。これのせいで、戦闘の良さがあんまり頭に染みてこなかった感じがします。

 あと、余計なお世話なのでしょうが、デザインが気になりますね。ミラクルやマジカルもそうですけど、フェリーチェもまた足し算のデザインという印象があります。これ、動かすの大変じゃないかなと思っちゃうのです。まあ、どうにかしていくのでしょう、多分。

 フェリーチェの正体がはーちゃんだと気付く際の描写は、なんか少しギャグっぽい感じがしますね。正面顔にかつての姿が重なってって言う演出なわけですが、何故こんなにもピンとこないのか。ただこれは、自分が徹底的に穿った見方をしているせいもあるのだと思います。
 とりあえず今後は三人となるわけです。今作がそれでどのような変化をしていくのか、楽しみにしています。

 あと、OPとEDが変わりましたね。
 驚いたのがOP。曲調だけでなく、本当にほぼ全ての絵が様変わりしていました。これのせいで本編の作画に影響が出ていたのだなと納得もしました。そして、リソース配分間違っているのではないかとも、正直思ってしまいました。ただマイナーチェンジだと本当に二人だけの世界という感じで、はーちゃんを加えるためには一から作り直すしかなかったのだろうなとも思います。最初のコンセプトが間違っているのではと言う、捻くれた感情が湧きますが。
 ただ、OPは本当に素晴らしい出来だと思います。見ているだけでワクワクしてくる。これは本編も期待できるなと、そう思わせる力があります(白目)。
 EDも例の如く変更。輪郭線が黒じゃなくなっていることに、ちょっと驚きましたね。ライトアップを浴びた人間の輪郭の変化を表現しているのでしょう。すごく、見ていて楽しいEDだと思います。歌詞とか曲調は、おどけすぎている感じはしますが、観ている内に慣れる部分だと思います。まあ正直なところ音楽とかCGとかは、筆者は滅法弱くて、あんまり詳しい感想は書けないのです……。

 思い出したのですけど、今頃になって魔法界の設定が明かされましたね。なんと魔法界には土地ごとに一つの季節しかないのだそうです。5話で行ったヒャッコイ島は冬島と言って、冬しかないのだとか。で、魔法学校には春しかないと。
 聞いたことのある設定とか、そんなことどうでもいいのです。面白いなら取り入れればいい。でもですね、こんな興味深い設定を今頃になって引っ張り出してくる意味は何なのかが知りたいです。だったら5話の段階でそれは言っておけよという気分になります。絶好のチャンスだったじゃないかと。
 とりあえず今後活かされることのない設定なのだろうなと言う、空しい思いだけがあります。だってきっとこれ、はーちゃんとの思い出を回想させるために提示した設定だろうから。



魔法つかいプリキュア! Blu-ray vol.1

 ※上記以外の物でも良いので、リンク踏んで何かを買っていただけると励みになります。



過去感想は下記より
アニメ感想:2016年夏期まとめ