※ネタバレあり。酷評記事のため、今作が好きな方は参照注意です。

 面白かった。魔法の設定の厄介さに目をつむれば、面白かった。
 魔法を楽しいことに使うことを肯定しつつも、迷惑をかけてしまってはいけないことに気付いた、ということを示していました。また、人にばれてはいけない要素も、単純に面白さへと繋がっていたと思います。
 この、人にばれてはいけないという部分に掘り下げがないのは、もはや気にしてもしょうがない。
 魔法に対する扱いって、これくらいがちょうど良いと思います。変に、魔法を使わないことの意義みたいな描き方をするからおかしくなるのかなと。
 まあつまりは、前回の話は忘れた方が身のためということでもあるのですが……。ついでに魔法を使っているのを見られたら杖を没収されるという設定も忘れておくと、大分心の平穏が保てそうです。
 とりあえず作中、悪いことをしたという感情を抱いて謝るという最低ラインを越えているので、あまりぐちぐち書くのはどうかと思っていたりします。何だその基準って話ではありますが。

 こう言った、今回の内容だけで考えれば面白いという回が描かれると、すごく微妙な心持ちになります。
 というか、今作ってやっぱり一話完結として見るべきなのでしょう。一話完結のコツって、キャラクターの行動原理が変わるような成長を描かないことだとは思います。ですが、今作ってそれを描きつつ一話完結式みたいな作劇をするので、おかしくなるのかなと。

++あらすじ++
 海水浴。いちごメロン味のかき氷をことはは楽しみにするが、製氷機が壊れているため食べられない。みらいの父親が修理することとなる。

 遊んでいる中で、ことははみんなを楽しませるようにと魔法を盛大に使いまくる。
 そのためみらいとリコは魔法が使用されているのをばれないように、大わらわとなる。そのため、すっかりくたびれてしまった。
 ことははそんな二人のためにかき氷を持ってこようとするが、まだ製氷機は修理できていない。
 すると怪しい男が現れ洞窟に氷があると告げる。
 しかしその怪しい男はヤモーであり、洞窟に氷はなかった。

 ヤモーはみらいとリコのことを、ことはが疲れさせたため、引き離すのが楽だったことを言う。
 この事態は、ことは自身が招いたことなのだと。ことははならば余計に負けていられないと、フェリーチェに変身する。
 スーパードクロクシーの攻撃もフェリーチェにはほとんど通じないが、動きを封じている内に攻撃を仕掛けようとする。そのとき、ミラクルとマジカルが駆けつける。
 力を合わせて、スーパードクロクシーを倒す。

 三人はことはを探しに行って、なかなか戻ってこなかったことを母親に謝る。
 また、ことははみらいとリコに向かって、魔法を使って疲れさせてしまったことを謝るのだった。みんなを楽しませたくてやったのだが、迷惑をかけてしまっていたのだなと。
 みらいとリコは全然平気だと笑う。リコは「ただし、今回みたいにこっそりでもたくさん魔法を使うのは無しでお願い」と口添えするのだった。

 その後、製氷機が直るもののまだ氷はできていない、しかしことはは魔法を使って氷を作り出していたのだった。
 全員でかき氷を食べていると、ことはの口元には幼少期に空色のスープを飲んだときのように、髭ができていた。
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 と言ったあらすじ。少し殴り書き。

 かき氷をことはが食べたことがあると言っていて、みらいとリコが食べさせてあげたような描写がありました。しかしこれ一応補足しますが、本編のみの描写だけを考えると捏造です。
 ことはがかき氷を食べたのは15話。みらいとリコとモフルンがはーちゃんのお世話を怠った時のことです。その際にはーちゃん自らリンクルスマホンを操って、暴飲暴食をしたのでした。その中に、かき氷があったのです。
 ですから、一応斟酌するなら、描かれていない部分で食べさせてもらったのだと思われます。
 ……と、ここまで書いておいて不安になって15話を見直したら、食べていたのはアイスクリームでしたね。かき氷じゃない。作中一度も食べてない物を食べたことにするって、どういう意図があるのでしょう。別に初めて食べると言う描写でも全く問題ないように思えるだけに不思議です。
 あともっと粗探しをするなら、口にお髭を作ったのは空色のスープを飲んだときで、かき氷を食べたときではありません。というか、かき氷のいちごメロン味でどうやってお髭を作るのかというのは、なかなか考えどころだと思います。

 一応、製氷機の修理に魔法を使わなかったのは、前話の「魔法を使わないことの意義」みたいな要素を拾ったと言うことなのでしょうね。
 個人的にはこの意義の意味が良くわからないので、どうにも納得できないわけですけども。

 今作、徹底的に叱るといった負の要素は廃されています(叱ることを負の要素とすべきかはともかくとして)。だから悪い存在として描かれているヤモーにその役割が回ってくるわけです。
 これ、ある意味みらいやリコはヤモーに感謝されるべきだと思います。もしヤモーがことはに、みらいやリコに負担をかけていたことを知らせなかったら、ことはは謝ることはなかったでしょう。そして今後も、ばれなければ問題無いと魔法を使い続けていたでしょうから。
 ある意味今回、敵の言葉に初めて耳を傾けたとも言えるのでしょう。前話でもそうですが、フェリーチェはエメラルドの持ち主に相応しい人物を見定める役目があるからか、敵の言葉も聞く傾向があるように思います。あくまで「聞く傾向がある」程度ではありますが。そこは、ドクロクシーの意志を継いでいる彼の気持ちも斟酌しよう、という話にはなっていないからです。

 ともかく、ヤモーはある意味恩人でもあるわけですが、恐らくは倒されることになるのでしょう。ドクロクシーに対して、幻覚や幻聴を見ている描写がされていました。要は、異常さが描かれているためです。
 というかヤモリって、漢字で書くと家守になって、害虫などを食べてくれる本来は良い生き物として考えられているのです。それが悪役として登場していることに、実は個人的に違和感を感じていたりもします。余談ですが。
 後は、今作って楽しい気分を損ねること、謂わば楽しい日常の邪魔をすることを今作は悪としているようなのです。
 てか本当に、叱ると言った、もしかすると逆恨みされかねない要素を主要人物が絶対に行わないように描かれていますね。もうここまで徹底されると大したものだと思います。
 ただ、どうしてこういう風にしようと決めたのかは、良くわからないわけです。親までも叱るということを放棄しているこの作風。
 悪いことは相手に教えられるものでは無く、自分で気付かなければ意味が無いとか、そういう考えがあったりするのでしょうか。正直なところ、良くわかりません。

 魔法でドタバタ劇が描かれたのは、本当に楽しかったです。ばれるようなことをするなと言うのは野暮でしょう。野暮にしないともう、今作の楽しめる要素がなくなってしまいます。
 個人的にはこういうものが毎話描かれるのだろうなと、最初の頃は期待していた部分がありました。それがようやく描かれたというか。
 リコが釘を刺したので、今後はあまり描かれることはないのだなと少し残念になったくらい。魔法のことがばれたなら杖を没収されるというペナルティが、本当に足枷になっていると思います。
 魔法でできることがけっこう曖昧でしたが、今回描かれたのって実はかなり魔法の定義をはっきりさせてくれたのではないかという気がします。
 無から有は本来無理だけど、有から無は可能なようです。また、物の大きさを変える魔法は中学生レベルでもできると言うことなのでしょう。あとは、恐らく一度かけた魔法の無効化、くらいでしょうか。ただ、あんまり覚えていても仕方ない部分だとは思います。

 というか、やっぱり魔法の設定に失敗していると思うのです。前話で書いた通りなのですけど。後はそれに加えて、魔法を楽しく描くことに対して、魔法を秘密にするのは邪魔でしかないっていうのが追加されます。
 これ、魔法を使用する目的が無いからこんなことになるのだと思います。どういうことかというと、魔法を秘密にするならば、魔法を使わないといけない理由を作らないといけないのです。
 今作であれば、敵を倒すというのが目的になるのでしょうが、それはプリキュアの役目になっています。そのせいで、みらいやリコやことはが日常的に魔法が使えるという設定が完全に死んでしまうのです。これを回避するのはもう、魔法を日常的に使用して良いという舞台を用意するしか無かったのではないかなと。今作はそうしなかった、だから、魔法を使う度に妙な気持ちになると、そういうことなのかなと。
 で、そんな厄介さなんてきっと小さな子供は気にしないと思うのです。私も多分、幼少期なら気にしなかったように思います。ただ、一緒に見ている親はどうだろうなと、思ってしまうのです。
 まあ、素人が好き勝手言っているだけなので、鼻で笑っていただければ幸いなのです。

 祖母がことはが洞窟の方に歩いて行ったのを「見ていた」のは、なかなか判断の難しい描写だなと思います。追いかけなかったのかとも思いつつも、祖母が若い子を追いかけることは無理があるだろうと思います。言っちゃあなんですが、追いかけたら別の問題が生まれそう。
 なので、みらいたちへ伝えるという今回の描写が正解だったと思います。

 製氷機が修理できても、すぐに氷ができるわけではないと言う描写がされました。それを見たとき、私、安心してしまったのですよね。それで、安心したことに戦慄しました。
 自分は、今作のことをどれだけ蔑んでいたのだろうって。さすがに馬鹿にしすぎだろうと思ったので、今後は気を付けたいと思います。

 遠くへ行ってなかなか戻ってこなかったのを謝ったこと、それを新鮮に感じられるというのは、今作でしか味わえない感覚だと思います。実は今作って、記憶違いがなければ「ごめんなさい」とはっきり謝っているのは山下憲一さん脚本の6話と、25話。鐘弘亜樹さん脚本の15話くらいなのです。
 恐らく他のプリキュア作品でも、謝っている回数なんてそう多くはないのでしょうが。今作がそれを強く感じるのは、ほぼみらいの行動のせいと言えるでしょう。正直、負の遺産だと思います。



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過去感想は下記より
アニメ感想:2016年夏期まとめ