※ネタバレあり。酷評記事のため、今作が好きな方は参照注意です。
 また、ちょっと食べ物の件で他作のことを挙げています。大したことは書いておりませんがご了承ください。


 新玩具の宣伝回、そのことによるラブーの退場。お膳立てのためにプリキュアたちは追い詰められることになる。そして、いつもどんなときでもみんなを引っ張ってきたみらい、つまりキュアミラクルをきっかけにして決意を新たにする。
 すると新玩具は力を発揮して、ラブーを撃退することに成功する。
 これこそ、プリキュアが築いてきた鉄板の展開と言えるでしょう。その流れを忠実に描き抜いています。まさに、描くべきことを描いた回だったと思います。

 ……と、まあ、書くことはできると思うのです。
 ただ、まあ、うん。
 とりあえずここから下は遠慮無く書かせていただきますので、今作が好きな方は本当に、ご覧にならないことを推奨いたします。







 わかっていました。今作でおもしろい話はそう続くものではないって。その終わりがシリーズ構成によってなされていることの歯痒さがむしろ、面白いとさえ思う。
 ちょっと自分語り。実は、あらすじを書き終わるまではあまり酷いことは書かないようにしようって言う、妙な自分ルールみたいな物があるのです。
 元々は、「1.率直な感想」、「2.あらすじ」、「3.詳細な感想」という書き方をするためだったりしました。
 時間のない人は最初の数行読んでもらえばいい、時間のある人はあらすじを読んで展開を思い出してから、詳細な感想を読み進めてもらえばいい、という。
 インターネットなんて、そう言うもんだろうと思っている次第。あとは諸事情で、ある作品の感想が感動しすぎてアホみたいに長くなったことがあったから。……むしろこっちか、何の作品かは察してください。

 で、まほプリに対しても大体同じ書き方なのですが、それはそれで最初の方に「今週もダメでしたね! HAHAHA」みたいなことをド直球で書くのは気が引けるわけで。自分なりにセーブしていたりしたのです。
 31話は無理です。そういうこととなります。
 自分語り終了、感想に移ります。お目汚し失礼しました。引き続き汚します。

 そんなわけで自分は31話をそこまで面白いと思えなかったという、そういうことであります。
 特に気に食わなかったのは、ひとまず今までのことを抜きにすれば面白かった29話さえも汚していくスタイルを見せつけてきたところでしょうか。一話一話を別物として捉えようと割り切ることさえ許さないなんて、大したシリーズ構成だと思います。
 雑な書き方をすれば、29話と30話の間でリコが何をしたよ、夏休み中だぞ、何で魔法が上達する、とでも。31話で魔法の上達を見せる場面を描くつもりだったのなら、29話で冷凍ミカンの解凍失敗なんて描かせるなよと言いたい。
 まあこれは、29話の後もずっと練習していたんだよと考えるのが素直なのでしょう。でも、リコが魔法の勉強をしていた描写なんて補習が終わって以来20話くらい無かったですからね。しかも勉強できないから不安になっているという描写を『村山功さん』ご自身の脚本である16話で描いているにも拘わらず。
 というか、何度となく冷凍ミカンの解凍にリコは失敗しているわけで、それってつまり成功しているか心配しているに違いないのです。何でそのことを他の三人は気付かないのか。「大丈夫だよ」と一声かけてから食べることができないのか。
 つまりみらいもことはもモフルンも、ずっと一緒に頑張ってきたリコの胸中を察することもできないと言うことになるのではないのか。それくらいの仲だと言うことを、ここでは示してしまっているのではないのか。そしてそもそもそれで果たして良いのか。とか、考えちゃいますね。
 今作は本当に、何を信じればいいのかわからなくなります。

 ちなみに30話で勝手にした私の期待は、この31話でみらいによってすっぱりと切り捨てられます。そりゃあ、そういうことになりますよね。わかっていました。
 みらいをきっかけにしての悩みの放棄、そこからの覚醒。今作に関してはあんまり戦闘描写に関しては書かないできましたが、内面描写に関わるなら書かざるを得ない。すごく、勢いで押し切ってやろう感がすごい。
 リコは自分の将来について悩んでいた、ことはも自分の魔法がムホーと同じ物ではないかと悩んでいた。けどそれらは置いておいて、ラブーを蹴散らしてやる。
 つまりはそういうことなのです。個人的にはこのやり方が、致命的なくらい合いません。これ、悩みの深刻さをもっと回を重ねて描いていたのなら、合わないとは思っていないのでしょう。ぽっと出の悩みを、ここから煮詰めていくのかなと思ったところで捨ててしまう、そのやり方が合わないのです。

 そしてそれ以上に、脳天気なみらいが脳天気なままなのが辛い。まあ、描写されていないだけでみらいの中では不安が渦巻いているのでしょう。「ダメだったかも知れない」と、本音を吐露しているわけですから。ただ、本当にそうだったと判断するだけの材料が、筆者には足りません。
 今作はリコとことはが感情のないみらいに、同じく感情のない存在へと洗脳されていくサスペンスホラーである。とか何とか思いつきましたけど、これはさすがに誹謗が過ぎるでしょうか。

 わかっています。今作はそういう作品なのです。気付いてはいましたけど、「悩み」の存在をはっきり示した手前、ここまで「悩み」について雑に扱うとは思っていなかった。それとも来るべき時にもう一度悩ませるのでしょうか。だって解決してないですし。つまり敵はあくまで敵でしかなく、プリキュアたちの悩みを喚起させるものではないと、そういうことになるのでしょうか。
 じゃあ、いる意味はあるのか。……ノルマか。
 きっとこれもまた、悩みをしっかりと煮詰めた状態なら印象が違うのでしょう。本当に大切な悩み事なのだと描ききったところで、悩むのを邪魔されたなら。それならばきっと、敵は存在意義を持つのだと思います。

 切りが無いのであらすじに移ります。

++あらすじ++
 帰っている最中、ラブーに襲われる。
 全力を尽くすも、追い詰められる。しかしその時ミラクルの決意によって杖が光り出し、マジカルもフェリーチェもモフルンもそこに集まる。
 そしてアレキサンドライトが生み出されフォームチェンジ、見事ラブーを撃退した。
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 と言ったあらすじ。くっそ雑ですけど、本当にこんなものです。
 あとはリンクルストーンから何やら妖精が出てきたことを取り上げておけば足りるでしょう。

 冷凍ミカンの件は上の方でも書いたのですが、まだ気になる点が一つ。
 リコやみらいの金銭感覚どうなっているんだというツッコミはありなのか無しなのか。確か魔法界で使える電子マネー的な意味合いもあるんですよね、これ。つまりお金なんですよね。会員証とかではなく。
 要はみらいって今までずっとリコに奢らせ続けてきたことになるわけです。しかも食堂でもリコがマホカを使っていました。それでいいのかって私は思っちゃうのですけど。
 これがどういう印象をもたらすのかわかっているのかなとか、考えてしまう。
 何せこれだと、みらいが友達に奢らせることしか考えてない女性として描かれている事になります。例えそのつもりがみらいになかったとしても、経済観念のない女性か、あるいはそういう所に気付かない無神経な女性としてしか捉えられなくなってしまう。
 あるいはリコが裕福か、裕福でないなら二人の機嫌を窺うために毎回奢っていることになりかねないのです。すごく穿った見方であることはわかっています。ただ少なくとも、そのリコの行いにみらいたちはありがとうなんて言葉、発しないわけです。
 「親しい仲だからお礼なんて言わないんだよ」と来たら、自分なら「親しき仲にも礼儀あり」という言葉を返しますね。自分語りで申し訳ないのですが、自分は少なくともそう育てられましたね、家庭でも学校でも。そしてその教えは間違っていないと思います。
 細かいところでこういうネガティブキャンペーン的な積み重ねをする理由がわからないのです。みらいたちを悪い子として描こうとしているわけではないはずなのに、こういう描写がことごとく印象を悪くしてしまう。作り手はもう少し考えて欲しいなと、正直思ってしまうのです。
 何せイチゴメロンパンといったナシマホウ界の買い物は、恐らくみらいが奢っているので、お互い様なわけです。ただ、こっちは金銭を支払う描写を省略しているという。ならいっそ両方描くか両方省けばいいのにって、個人的には思います。……ただ、販促なのでしょうから、仕方ないのかもしれません。
 せめて、「ありがとう」の一言を声優に言ってもらうことって、できなかったのだろうか。

 あー、みらいに「女性」という言葉を使用したのでついでに書いておきますが、筆者はみらいのことを「女の子」として見ていません。女の子だと感じたのは一度きりです。そこ以外では、どっちかというと男だと思っています。今作の長所であろうキャラクターの「可愛さ」という点も、みらいに関して可愛いと思ったことは一度きりです。ていうか、他のキャラクターに対しても、覚えていないくらいには「可愛い」と感じたことはありません。
 ちなみに「女の子」「可愛さ」を感じたのは、同じ場面になります。11話でクラス分けを確認している箇所ですね。仲の良い友人とのやり取りから、男子生徒のテンションの高さにちょっと引いてしまう描写まで。ここだけです。

 中傷じみたことばかり書くのも何なので話を逸らしますが、冷凍ミカンの件、今作で扱われたことで扱う店が増えたりしているのでしょうかね。自分はあんまりスーパーの冷凍コーナーには行かないのでわからないのです。
 別にどうと言うことでもないのですが、宮崎駿監督の「風立ちぬ」が上映された後って、シベリアを良く見るようになった気がするわけでして。単に、自分が気付くようになっただけって言うオチかも知れませんが。
 ちなみにシベリアはカステラで羊羹を挟んでいるという、何か良くわからんがとにかく贅沢なことはわかるという一品です。ピッチャーで四番を打つ、みたいな。想像を裏切らずめっちゃ甘いですが、非常に美味しいのでオススメ。

 ……話を戻します。
 ラブーとの戦闘描写は、一言で表すなら「ラブーが気の毒になった」と言ったところでしょう。今作では徹底して敵を容赦なく倒すらしいので、忠実と言えば忠実です。
 ところでFebriのインタビューで書かれていたのですが、スパルダもガメッツもバッティも倒され方は問題無かったと、シリーズディレクターは捉えているそうですね。本分は全うしたというか。記憶が定かで無いですが(本が実家にあります……)、各話のあらすじの端にあるコラムで下記のようなことを書いていました。そういうことならそうなのだろうとしか、書きようがない部分ではあります。「本編で伝わらなきゃ意味ないでしょ」っていうスタンスなので。
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 スパルダはドクロクシーへの忠義に厚かった。だから自らをヨクバールに変えてしまうほど入れ込んでいた。
 ガメッツはこの中ではわかりやすく、強さを求める武人だった。だから決闘を望んだ。
 バッティはビジネス的な立ち位置で、仕事を全うしようとした。
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++2016年9月17日追記++
 実家帰ったのでFebriのインタビュー読み直しました。シリーズディレクター三塚さんが、上記の三人にはそれぞれに生き方を持たせて、それに殉じるよう描いたと発言されています。下記三つのように。ちょっと勘違いして覚えていましたね。申し訳ないです。
 スパルダはドクロクシーの「闇の世界を作る」目的に心酔していたから、自らヨクバールになった。
 ガメッツは「強い奴と戦いたい」から、プリキュアとライバルとして戦い、散ったことで満足できた。
 バッティは仕事に生きるタイプだから、仕事を成し遂げることで認められたかった、褒められたかった。
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 ラブーの戦闘、本当に気の毒になりますね。もっさり、ただただもっさり。魔法を放つプリキュアたちへ、一つ一つリアクションを取るだけの戦闘。必殺技の掛け声通り、虹の彼方へ吹っ飛ばされたため、本当に倒されたのかわからない撃退のされ方。
 ……ラブー、再登場するのでしょうか? 他作品だったら確実に生き残っていると考えているところですが、今作は予想がつきません。バッティを片手間で浄化させた実績があるので。
 ただ、生きていたから嬉しいかというと、そうでもないわけです。そういう作風を目指しているわけですから、狙い通りではあると思います。

 戦闘に関してもう一点。今作、とりあえず暴力描写を極力避けているのはわかるのです。ラブーが拳を振るった際、プリキュアは拳にぶつかったからでなくその風圧に吹き飛ばされていたことからもわかります。
 女児が見ることに気を遣っていないわけではないと、そういうことになるわけです。
 ただ筆者には拳を直接当てないことが、どれだけ良い印象を与えることに効果があるのかはわかりませんでした。危機感が削がれるだけではないかと、考えてしまいもしました。
 それよりも個人的には、ラブーの戦い方が下品だったことの方が気になりましたね。汚れた大人の目線で見てしまう自分がいけないのかも知れませんが。
 雲に隠れており、下半身が見えない風貌。まるで下には何も穿いていないかと錯覚させる見た目は、問題無いのかなと思って見ていました。それとプリキュアたちに突撃するとき、指を牛の角に見立てていましたけど、これバッファローゲームじゃないの? とも思っていました。
 ……自分の目が汚れてしまっただけ、なのでしょうね。ただプリキュアって親御さんも見るんじゃないの? だったらこういう描写は避けるべきじゃないの? と、自分は思ってしまうわけです。気にしすぎ、なのかな。
 ここらへんは何が正解かよくわかりません。

 プリキュアたちの復活は、今まで「魔法」を如何に雑に扱ったかを浮き彫りにしていました。正に負の遺産が伸し掛かっていました。
 魔法が私にたくさんの出会いをくれた。魔法があったから繋がれた。
 その通りだと思います。でもその魔法を使うことを以前に否定してましたよね。しかもそれを良いことのように扱ってましたよね。っていうツッコミがもう、頭を巡るのです。それとも、それはそれ、これはこれ、ということなのでしょうか。
 フェリーチェだけが、「自分がすごい魔法を使える理由も、自分の正体もわからないけれど、みんなといれば悩みなんて吹き飛ぶ」と言うような魔法を使うべきかどうか以外の事柄を理由に立ち直ったために、この矛盾から難を逃れているわけです。ただ、それだけで印象を逆転できるかというと、難しいところだったよなと。

 というか、話の冒頭のみらいはやっぱりおかしいと思うのですよね。リコとことはの態度に対して脳天気すぎます。そして脳天気なまま、起死回生のきっかけになる。予想通りだけど、予想通りであって欲しくなかったのです。
 そもそもここら辺の描写、色々おかしい。前述の通り勢いで押し切られた感じがすごいです。
 魔法が通用しないことで、魔法が否定された。と、言うことで良いのですよね? だからみらいは「もう何も残っていないの」と涙を流した。そして、起死回生のきっかけは「私には魔法がある」。これは、話が繋がっていないような気がします。
 まあ、気にしてもしょうがないのでしょう。……気にしてもしょうがないって、一つの作品で何回まで使って良いのだろう。

 それとリコとことはの問題提起は、ここでしておくべきだったのだろうか。起死回生の理由が「魔法は無力などではない、素敵な物なのだ」的な物だったわけです。そこにリコの悩み「魔法つかいとして何をするか」と、ことはの悩み「自分は一体何者なのか」は微妙にずれているような。ここで出してしまったせいで、ひとまずそれは置いておいてという感覚が強くなってしまっている。
 こんなところで立ち止まっていられない! っていうニュアンスなのかも知れません。あくまでラブーたちは悩む上での邪魔者でしかないと言ったところでしょうか。ていうか、ヤモーのことからもわかる通り、まほプリは終始そういう作風でしたね。うっかりしていました。
 ただ前述の通り、敵が邪魔をする事柄も重要だと思うのですよ。主役たちにとって邪魔されている物がどれほど大切な物か、それが示されていないと空回りしてしまう。
 とりあえずムホーは魔法を否定する存在である。但し、魔法を使う上で生じる悩みについて関与するものではない、と言ったところでしょうか。立場としては。

 ただ、やっぱり気になりはします。今回31話でリコとことはの悩みが取り上げられました。そうすることで、ことはの魔法はムホーと似ているけれどあくまで魔法であると言うことで片付けられるのではなかろうか。リコが魔法使いとして具体的にどうなりたいかというのも、悩むことはなくなるのではなかろうか。みたいなことを考えてしまいました。前述していますが、ここら辺もう少し悩んでもいいと思うのです。
 むしろ今後、もう一度取り上げても良いと思います。取り上げるのでしょうか? ……取り上げて欲しいです。こんな雑に扱って良い問題じゃない。
 実際どうなのでしょう、ことはの魔法はムホーに関するものなのでしょうか。リコは将来についてもう悩まないのでしょうか。こうやって31話で悩みを一度放棄してしまったせいで、再度取り上げたときの印象を悪くしてしまう気がしています。ひとまず解決したような雰囲気を漂わせてしまっているから。
 なんかもう、どう書けば良いかわからなくて文章がぐちゃぐちゃになってきたので、ここら辺でこの件は終わりにします。

 今後は堅苦しい喋り方をする男「シャーキンス」がプリキュアの相手をするようです。
 30話では過ぎた力を持つべきではないと言っていたり、31話ではムホーの威厳といった言葉を発していたり、何か信念のような物を持っているように感じられます。
 ……が、まあ、はい、という感じ。問答なんてしませんからね、今作。徹底されているなと思います。さすがに過去の話は覚えていないですが、少なくともラブーのことをプリキュアたちは一度も名前で呼んでいませんから。確かドクロクシーも(間違っていたらごめんなさい)。
 そういうことなので、これからも安心して敵がおざなりにされる様を見ることができます。とりあえず今後は敵がどれほどひどい最期を迎えるかに期待と、そういうことにしておきます。

 余談ですけど、魔法界とナシマホウ界を繋ぐ狭間の設定、ふわふわでしたね。
 最初は箒を使わないと飛べないのかな、重力があるのかなと思いましたが、モフルンでも移動できるような宇宙空間として扱われていたり。
 つまりは箒を使ったのは、宇宙空間のような場所で自由に早く飛び回るためと、そういうことで良いのでしょうね。



魔法つかいプリキュア! Blu-ray vol.1

 ※上記以外の物でも良いので、リンク踏んで何かを買っていただけると励みになります。



過去感想は下記より
アニメ感想:2016年夏期まとめ