※ネタバレあり。酷評記事のため、今作が好きな方は参照注意です。

 なんて言えばいいのかわからないですが、無味無臭で口当たりもない食べ物、みたいな回でした。
 やるべき描写はやっているけれど、何故か面白くならないという歯痒さがあるというか。でも、ストレスなく見ることができたのは、今作において素晴らしいことのようにも思います。
 これ、恐らく28〜30話のドタバタ劇としての印象が強すぎたのも影響しているのだろうなと思います。それくらい普通の回なのです。無理矢理な部分が無かったわけじゃないけど。
 というか、個人的にはあのドタバタ劇を維持した方が良いのではないかと考えたりもします。

 前回アホみたいに長文書き殴ってしまったので、今回そこまで長く書かなくて済みそうで安心しているのが本音だったりするわけですが、まあ、それはどうでもいい話。

++あらすじ++
 ことはがナシマホウ界の学校へ留学生として通うことになり大はしゃぎ。
 その中朝練で、そうたがサッカー部のキャプテンになったことで張り切りすぎ、空回りをしているのを見つける。
 どの授業でもはしゃいでいる。
 放課後、そうたの張り切りと裏腹に部員は集まらない。ことははそうたと一緒に部活を楽しむ。すると、部員たちが集まってきて、練習に励む。

 翌日の試合会場に、ことはたちは楽しみすぎて早く来てしまう。するとシャーキンスが襲いかかってきた。
 サッカーなど下らないというのに対して、変身したフェリーチェはそうたの頑張りは尊いと言う。

 そして、ドンヨクバールを打ち倒す。
 その一部始終を見ていたバナナ型の妖精が、トパーズミトメールと唱えてレインボーキャリッジに宿った。
++++++++

 そんな感じのあらすじ。雑で申し訳ないです。

 とりあえず今後の展開の布石は打たれたと言ったところでしょうか。
 これまた、茨の道を突き進んでいるなと思います。つまりはレインボーキャリッジに妖精の力が宿ることが、デウスマストを打ち倒すのに重要な要素になるのでしょう。そしてその事実を、なるべくプリキュアたちに知らせない形で回収しようとしているのです。
 日常を守ることが、世界を守ることに繋がったという試みを徹底しようという気概が感じられました。
 プリキュアという作品の性質上、パワーアップにアイテムは付きものです。そうすると、パワーアップできることをプリキュアたちに自覚させるかどうかという話になるのですが、今作は「使命感を持たせない」という狙いがあるため、なるべく自覚させないという道を選んでいる。
 それはつまり、プリキュアがパワーアップに積極的であることを描きづらく、更にはアイテムに無関心あるいは無自覚な態度を取らざるを得ません。それはつまり、最終的に視聴者へ新しいアイテムへの興味を持たせることも困難になります。作中の人物が興味を示さない物をどうマーケティングするのかという問題が浮かび上がってくるからです。
 本当に、今までの描かれ方から言って、大丈夫なのかと不安になってしまいます。恐らくその対策として、モフルンがレインボーキャリッジへ強い関心を示すようにしているのでしょう。

 自分は三期制の時代に学校へ通っていたので良くわからないのですが、二期制って始業式の後に授業があるものなのですね。
 聞いた話によると、始業式さえなく普通に授業が開始されるとか何とか。
 少し調べたところに寄ると、ここら辺の体制は学校ごとにバラバラなのだとか。始業式の後に午前中だけ授業をしたりする学校もあるとのことで。上記の通り始業式もなく、給食ありの授業をすぐに始めてしまう学校もあるそう。そもそも三期制のままの学校もあるらしいですし。
 今作はそこら辺、二期制と三期制の合の子を取っているようです。始業式の後に普通に給食ありの授業が行われると言う形。放課後が午後2時でしたからね。
 学校の行事関連については、しっかりと地に足がついているので突っ込んではいけない部分でしょう。
 ただちょっと残念なのは、それであるなら、ことはが給食に大喜びする描写を入れても良かったのではないかと言う気もしました。以前にみらい家の料理を美味しそうに食べていたのが記憶に新しいので、そんなことを思います。きっとことはも、学校に妖精の時代何度も来ていましたから、楽しみにしていたことでしょう。まあでも、入れる隙は無かったと思います。
 個人的には、始業式の翌日に試合が予定されている状況が少し気になりました。展開の都合なので、あんまり突っつくところでは無いとは思いますが。これ、始業式の翌日は、恐らく土曜だったという言うことになるわけです。
 ただ、それだけの話ではあります。こういう暦関連は突っ込むだけ野暮です。

 それらよりも、そうたのサッカー関連の強引さが気になりましたね。
 そうたは張り切りすぎて空回りしている。ことはとサッカーを遊ぶことで、自分はキャプテンとしてみんなをワクワクさせるべきなのだと気付く。そしたら、部員たちが集まって練習が開始された。
 なかなか早足な解決の仕方をするなと思います。でもこれでも、ことはが気付きをもたらしているので、すごく絵面としては見やすい話作りだったと思います。
 失敗したらランニング1週とか、試合前日にスパルタな練習とか、試合に備えて練習は抑えめにすべきではとも思うのですが、練習試合のようなのであまりここら辺を突っ込んでもしょうがないところでしょう。
 と言うか、ここら辺の描写ってあんまり深く考えない方が良いと思うのですよ。そうたがキャプテンになったことで意気込みすぎて、ワクワクすること、つまりは楽しむことを忘れてしまっていた。ことはと遊んだことで、ワクワクすることの大切さに気づいた。だから部員たちも戻ってきてくれた、それで良いのです。
 だって、部活に来ているのがそうただけという状況。要はこれって他の部員は言い方を悪くすればサボったことになります。ただ、様子だけは見に行ったのでしょう。そうしたら、留学生と一緒にサッカーを遊んでいるのです。
 ……この状況を見た部員たちはキャプテンに何を思ったのでしょうか。羨ましい? 気の毒? サボったことへの罪悪感? それか、「そうたの奴、楽しそうにしてるじゃないか、やっとわかってくれたんだな」とか? 何にせよ、あんまり突っ込んで考えるべきでは無いです。まあでも、尺が足りなかったとは言い難い気はするのです。勝木かな関連を削れば他の部員の心情も描けたでしょうし。ただ、勝木かな関連も恐らくお約束として尺が割かれているものと推測できるわけで。だからやっぱり、あんまり突っ込むべきではないという話になるのです。

 試合結果が引き分けの件については、無難なように思います。そうたがサッカー部である描写が詳しくされたのってこれが初めてなので、ここで勝利すると話ができすぎているから。
 あと余談ですが、サッカーボールの上に乗るというのは、例の世界中で人気のサッカーマンガがやっていたことですね。そうたもそれを読んで知っていたから、あまり驚かなかったのでしょう。と、書いておく。

 ことはが学校へ通えるようになった過程は一切省略されていました。
 恐らくは、リコと同じような手続きが踏まれたものと推測できます。そしてみらいの両親はあの調子なので、すんなりと受け入れたのでしょう。
 まあ、ここにまたわざわざ時間を割く必要があるかって言う話なので、気にしてもしょうがないと思います。こんなところを気にするくらいだったら、面白い作劇を心掛けていただいた方が良いのです。
 その上で今作が面白いかどうかと言う話になるわけですが、そこはもう31話みたいな事が起こらなければ良いのでは無いか、くらいには思っております。後は5話とか。

 戦闘描写は、今までと打って変わって戦略性がありましたね。ただ、戦略を立てたことが功を奏さなかった、意味が無かったという描写を入れているのが気になりました。
 普通だったら、サッカーでゴールを決められる、ドンヨクバールがひるむ、そして止めとなるところ。今作では、ひるんだ後にシャーキンスからの「サッカーなんてくだらない」というセリフが入ってドンヨクバールは体勢を立て直します。
 戦闘に関して、作戦を立てたことの意味が無くなると言うこと、これが見ている人にどんな思いをさせるかはわかりません。自分は本来なら恐らく、がっかりします。
 ただ、少なくとも自分は今回がっかりせずに済んでいて、むしろ「こうやって戦略性を回避してきたか」と、32話を描いた方々の頑張りを讃える気にすらなっています。
 ……作品に関するインタビューを読む事って、あんまり良くないことだなと思いますね、やっぱり。余計な手心を加えてしまうことがあるから。
 まほプリという作品は、戦闘に戦略性を持たせることに消極的です。それはもう、インタビューでシリーズ構成とシリーズディレクターの両名が明言していることです。だから、戦闘時に今回のような「ゴールされたくないようだから、ゴールを決めてやろう」といった戦術を用いた場合、それを否定する描写を入れなければならないのです。
 でも、その否定される部分を最小限に抑えて、戦術でドンヨクバールを追い詰めたように描写することに成功しているのです。これ、快挙なんですよ。
 とまあ、こんな風に。

 とりあえず今回の敵の犯行は、試合が始まる前の妨害でした。ゴールとポールをドンヨクバールに変えられてしまったために、試合ができなくなると言ったところでしょうか。
 なのでミラクルも「邪魔をしないで」と言っていますし、彼女が敵に対して取る態度もそれになります。
 しかしフェリーチェはサッカーを下らないと言われたことに対して、憤りを感じて反論しています。そうたの頑張りを尊いものとして扱っている。
 これ、ミラクルとマジカルに対して、フェリーチェだけが戦闘に対しての意気込みの性質が違うのですよね。
 だからなのか、落差が激しいですね。ちょっと自分はがっくりときてしまいました。個人的にはもう、ミラクルが何か敵に対して喋る度に、「君はもう黙っておいた方がいい」って思うくらいには毒されています。ミラクルが敵へ反論すると、気に入らないことされたからぶっ飛ばすっていう印象が強くなってしまうというか。個人的にそのあり方が合わないのです。

 ともかく、フェリーチェの態度はですね、意味があると思うのです。
 妖精がミトメールと言ってレインボーキャリッジに宿ったのは、この部分に対しての事だと思う訳で。
 恐らく、エメラルドの魔法はムホーと同じ性質ではないと、個人的には思っています。31話ではムホーと同じ物ではないかとか書きましたが、リンクルストーンエメラルドの序盤の説明を考慮すれば、考えにくいのではないかなと思い直しました。むしろ、対抗するための手段ではないだろうか、と。言うなればクシィが追い求めた、大いなる災いに対抗する力なのではないかなと、思う訳です。
 つまりデウスマストを倒す使命を、エメラルドの妖精であるフェリーチェは持っているように思えます。ここら辺、あんまり説明されておりませんが。
 一応、プリキュアは「伝説の魔法つかい」で、リンクルストーンエメラルドを守護する存在とされています。そうまで描かれているとなれば、エメラルドに関するものが大いなる災いに対抗する手段であると考えるのが自然でしょう。
 ここら辺、複雑な扱いになっているらしいことが、インタビューから窺えます。もうインタビューでしか推測できないので、じゃんじゃん取り上げていきましょう。
 インタビューによると、ことはは自ら望んでプリキュアになったのだと言われています。これはもしかすると、リンクルストーンエメラルドとその妖精は、プリキュアに使用される道具に過ぎなかったのではないかと推測できます。
 歴代のプリキュアの最終技のように、リンクルストーンエメラルドは最終技を使うための道具であり、妖精は戦わずその最終技を使用する援護をする役割だったのではないかなと。しかしことはは自ら戦うことを望んだ、だから彼女は現在妖精でありながらプリキュアに変身する力を得たとか、そういったところなのではないかなと。
 ここら辺の事情が、終盤になって明らかになるのかも知れません。
 ですからもしかすると、現在小さな妖精たちがミトメールと言っているのは、フェリーチェのことではなく、使用者であるミラクルとマジカルに対してなのかも知れません。前述の感想と矛盾しますが。それか前述の感想と矛盾させないなら、妖精(ことは)がエメラルドを扱えるだけの資質を持っているか試されているか。
 あくまでプリキュアはエメラルドを守護する役目を持っているだけのようなので(4話で示されていますが、プリキュアはエメラルドを守る役割を持つリンクルストーンで変身しているのです)、むしろ後者の方が当たっているかも知れません。
 とりあえず私がこれらに対して言えるのは、本編の描写だけでこう言った考察を書きたかったということでしょうか。
 ちなみにトパーズはワクワクのリンクルストーンなので、ミトメールの条件が「ワクワク」だったのだと思われます。だから今回、ワクワクという言葉が飛び交いまくっていたのです。なので、今後はリンクルストーンが司る物を描写していき、認められていくということが推測されます。
 ただ他のリンクルストーンは光とか大地とか氷とかを冠しているため、何かの行動に関連づけるのは難しいかもしれませんが。

 32話全体の内容としては、ストレスなく見ることができた、良い回だったのではないかと思います。
 最初に書いた通り、28〜30話と連続してドタバタ劇が繰り広げられていたため、少しパンチが足りないかなと感じもしました。けれど、無難にまとめ上げている回だったと思います。どちらかの作風に搾った方が視聴者としてもわかりやすいのではないかなと、思ったりもしますが。
 あとは……勝木かな関連の描写は個人的にギャグとして成立していないと思っています。まあお約束だなという感じで見流しているというか。ただ見流している部分にも時間は使われているわけで。そこがナシマホウ界編では少しネックになっているかなと。今回もそうたに関する問題解決の描写が早足になると言う弊害を生みました。しかしこんな「魔法がばれちゃいけない」要素よりも「魔法を使わない方が素敵」要素の方がシャレにならないほど足を引っ張っていると筆者は感じています。後者は魔法を使うための鍛錬を否定しかねないからです。なので、ここら辺のばれちゃいそうな描写は大体目をつむれてしまいます。無論、ばれちゃいけない要素も今までの描写を顧みれば、「ばれないようにすればいい」といった非道徳的な描写の要因になっているため、無いに越したことはないわけですが。あるいは「ばれないようにすればいい」とする部分をもっと作り込むべきだったように思います。

 とりあえず個人的に思っていることを書いておきます。勝木かな関連をギャグとして成立させるには、たった一つの要素を足すだけでどうにかなったんじゃないかなと、自分なりの答えを見つけている次第です。
 要は魔法関連の現象を究明することについて、勝木かな本人がものすごく楽しそうに取り組んでいればよいのです。それだけで間違いなくギャグになります。更に言えば今の彼女のように、気の毒な状況にもなっていないはずです。今の彼女は真剣すぎます、心の余裕がなさすぎる。そんな人をギャグとして描写するのは、危険です。
 ただ楽しませられるかはキャラの性格付けの段階で決まってしまうので、手遅れなのですよね。そんなわけで筆者は手遅れな物にどうこう書くのも仕方ないと思うわけで、勝木かな関連は変化が起きない限り「ふーん」で済ませるつもりでおります。

 シャーキンスは名前を聞かれていましたけど、これから先プリキュアたちに名前を呼ばれることがあるのだろうかと思ったりします。せっかくなので着目しながら今後は見てみます。
 ラブーはシャーキンスの発言により倒されたことが明言されました。わかってはいましたがばっさりといきますね。ラブーはヤモーを復活させた件があるので、シャーキンスもそれ以上のことをしないと強敵である印象を与えられないと思われますからがんばっていただきたいところ。
 次回はリコの父親が登場すると言うことで、ものすごーく長かった前振りが回収されるときが来たと言ったところでしょう。3話で、みらいが「おばあちゃんは何でも信じてくれる」と言うようなことを言っていたとき、リコは暗い表情をしていたのでした。暗い表情をしている理由が、とうとう明かされると言ったところでしょうか。
 ……さすがにみんな忘れているんじゃないのかと、自分は思っちゃったりします。はてさてどうなるか。



魔法つかいプリキュア! Blu-ray vol.1

 ※上記以外の物でも良いので、リンク踏んで何かを買っていただけると励みになります。



過去感想は下記より
アニメ感想:2016年夏期まとめ