※ネタバレあり。酷評記事のため、今作が好きな方は参照注意です。
  無駄に長いので、好きなところだけ読んでいただければと思います。


 勢いでごまかそうとしているだろ、これ。
 というのが率直な感想ですね。敵にも矜持があるとか、そういう話を描きたかったのもわかるのだけど、積み重ねてきた物がそれらを否定してくる感じ。

 逆に言えば今回の内容だけ観れば、敵のキャラクターにもプライドがある、貫き通した思いがあるということを描くことができた回。といっても良いのではないかなと。むしろ相当なファインプレーだったと思う。
 個人的には、作品の面白さというのは積み重ねてきた物の結実だと思っているので、『今までのことを抜きにすれば』というのは相当な諦観なのですけど。そうでもしなければ視聴継続が成せなかった作品というのが、今作への評価というか。だってこの終盤に来ての上記の考え方って、要は今回の内容を見て、過去にそれを補強するようなエピソードがあったのだろうと全部脳内補完する事に他ならないのですから。
 でもまあ、ここら辺のことは散々今までの感想で書いてきたことなので、取り立てて書くことでもないのですが。

 てか、今回も前回に引き続き、歪だったなあと言う印象。敵側の行動を肯定するのって、色々なやり方はあるのだろうけど、今回のようなやり方はまほプリでやっちゃいけないだろうなという。

++あらすじ++
 祖母は小学生以来の友人と同窓会。離れていても心は繋がっているのかも知れないと言われてみらいたちは感銘を受ける。校長先生との待ち合わせをしていたのを忘れて。思い出して、慌てて向かう。
 オルーバはフェリーチェの正体に気付いている様子。徐々に力が目覚めつつあるという。
 また、闇の魔法の隠された力を使い、デウスマストの眷属を復活させることに取り組み始める。縁ある存在であるスパルダとガメッツを連れて。

 校長先生は凍えていたが、ことはがこたつを出したおかげで温まる。
 校長先生は魔法界とナシマホウ界が繋がっていることを話し、闇の本についてキャシーに訊ねる。しかし行方はわからない。そこでクシィが闇の魔法へ手を出そうとする際、「私に構うな」と一蹴されて止められなかったことを思い出す。
 落ち込んでいる様子を見て、モフルンは甘い物を食べることを提案。みらいはそれならと、いちごメロンパンを買ってくると思い立つ。校長を残し、みんながそれを買いに行く。
 すると校長はバッティを見つける。

 いちごメロンパンを買った後、キャシーは校長が落ち込んでいる理由を話す。そのために、わざわざ全員で席を立つようなことをしたのだった。
 そして、校長のかつての学友だったこと、特に仲が良かったことを話す。しかし災いに対抗するために、クシィは闇の魔法に手を出し、ドクロクシーとなってしまったのだと話す。そして、そのことで校長は時折心を痛めているのだという。

 校長はバッティの話を聞いていた。バッティは主君がいないことで落ち込んでいた。
 戻ってきたみらいたちが身構えるのに、校長は大丈夫だと諭す。実際、バッティは戦う意思がないようだった。その様子をかつてヤモーだったヤモリが見ていた。
 バッティの態度に、校長はその責任感がクシィに似ていると話す。
 クシィの本で犠牲者を出してはいけないと、校長は意気込む。そこにオルーバが現れ、バッティを除く全員をムホーで運ぶ。バッティはそれを飛んで追いかける。
 雲の中に、何やら水色のタイルで組まれた地面が作られている。

 ガメッツとスパルダがいて、オルーバに力を与えられみらいたちに挑む。しかしスパルダはオルーバを横目で見て何か企んでいる様子。みらいとリコ、ことはは変身する。ミラクルとマジカルはトパーズに変身。
 スパルダは大蜘蛛に変身しミラクルとマジカルに挑む。ガメッツは再びフェリーチェに挑む。校長はオルーバから本を取り戻そうとするが、かわされる。オルーバは闇の魔法の本当の役割を教えるという。

 ラパーパに眷属が封印されようとしたとき、オルーバはある情報を世界中に放った。
 それをすべてつなぎ合わせると、世界を覆うほどの強大な闇の力を、人間の手でも生み出せるのだという。そして、その情報は、クシィの研究に組み込まれる形で完成し、闇の魔法となったのだという。
 バッティは自分の誕生が仕組まれたことだったのかと驚愕する。

 ガメッツは自分が浄化された際の小さな妖精が、ここまで力を付けていたことを喜ぶ。フェリーチェはピンクトルマリンで彼を吹き飛ばす。
 オルーバはドンヨクバールを呼び出し、勝負に割り込む。もう諦めろ、彼女こそがラパーパの力を継ぐ者だからと告げる。

 スパルダはミラクルとマジカルの手によって倒されたかに思えたが、風船のように破裂してしまう。
 実はスパルダは身を隠しており、オルーバの隙を窺っていたのだった。糸を使い、闇の本を奪い取る。そして、クシィの手を糸で拘束しムホーを使用できないようにする。闇の世界を作るのは自分だと息巻く。
 しかしオルーバは変身し、糸を破壊すると、スパルダへ攻め寄り本を取り返す。

 闇の世界を作ろうとするスパルダに、オルーバは言う。闇の世界とは、地上のすべてを負で満たし、ラパーパの封印を外側から打ち消す。それが狙いだと。そんな眷属が復活する状況、それが闇の世界であると。
 バッティたちが目指した物、存在も目的も、眷属復活のために生み出されたのだと。

 スパルダは笑う。あくまで自分のために闇の世界を作ると。ガメッツも狼狽えない。自分の力を信じるのみだと。それを笑うなら覚悟しろとオルーバに言う。
 オルーバに向かって飛びかかるが、ドンヨクバールにあっさり阻まれる。
 オルーバはドクロクシーが失敗したから、眷属復活が中途半端になってしまったと言う。そのせいで、自分が動かなければならなくなったのだと。そしてあっさりと、スパルダとガメッツを元の姿に戻してしまう。
 狼狽えるバッティの前に、かつてのヤモーがドクロクシーの形を模したカカシと共に現れる。そこでバッティは意気込む。

 オルーバはプリキュアたちを戦わせようとする。
 かつての本の主であるドクロクシーが闇を生み出す原動力に選んだのは、リンクルストーンであり、プリキュアの力だからである。
 オルーバがショー会場と言った場所は、闇の本と繋がっているのだという。プリキュアが戦えば、その力を吸収して闇の本に注がれるという。
 しかしバッティが止めに入る。スパルダ、ガメッツ、ヤモー、ドクロクシーのカカシを素材に、ヨクバールを生み出す。オルーバはドンヨクバールを差し向ける。

 オルーバは闇の魔法の連中も、闇の本を作った者も役立たずだと蔑む。闇の魔法の欠点はその中に人間の心があることだという。人間の弱さや迷いが、ムホーの再現を不完全にしたのだという。ムホーは人間に托すには過ぎた力だったのだと。
 校長は、そんなもののためにクシィが犠牲になったことを嘆く。
 だが、ヨクバールは、ドンヨクバールを撃退する。オルーバはそれに戸惑う、何故出来損ないの魔法に破れるのだと。
 フェリーチェは闇の魔法が出来損ないではないと断言する。人間の心には確かに弱さや迷いがあるが、それだけでなく強さや一途な思いがあるのだと。そこから生まれた魔法は、眷属の想像を超えた力になるのだと。

 オルーバは激昂し、プリキュアに襲いかかろうとする。そこを、エクストリームレインボーで撃退。しかし散り様、オルーバは残された力を闇の本に注ぐ。せいぜい抗い飲み込まれるが良いと捨て台詞を残して消滅する。
 すると、眷属たちが封印から目覚めてしまう。リアンはその状況を見て戸惑う。プリキュアたちはぽかんとしている。

 バッティは自分に熱い気持ちが残っていたことに驚きつつも、スパルダたちと一緒に帰って行く。
 校長は闇の本を拾い上げて、最初のページを開く。そこにはクシィが彼に向けた言葉が残されていた。災いに対抗するために禁断の魔法に手を出すことが綴られていた。校長には反対されてしまったが、研究の末に自分がどうなってしまっても覚悟はできている。しかし、校長は巻き込みたくなかったのだと。災いを乗り越え、いつか、一緒に空を飛ぶことを夢見ていると。

 校長はその文章を見て、どこまで真面目な奴なのだと涙する。馬鹿野郎と言う。
 みらいは祖母の言葉を思い出す。「離れていても、どこかで繋がっていたのかも知れない」という言葉を。
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 あらすじはこんな感じ。文章雑な上にくっそ長いですね、すみません。初出の情報が多すぎて、省略できませんでした。正直疲れましたが、その分、大体の内容は書けていると思います。ただ、面白いと感じていない物のあらすじを書くと言うことは、拷問に似ているなとは感じた次第。

 書かないといけないことを、まず書いておきましょう。
 闇の本に校長への手紙が書いてあったのを見たとき、クシィのことを校長は「真面目」と評していました。
 そんなわけで、「真面目」の意味は下記となります。
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まじめ【真面目】
(1)真剣な態度・顔つき。本気。浮世床(初)「ハイさやうならと―になる」。「これは―な話だ」
(2)まごころがこもっていること。誠実なこと。「―な人柄」「―に働く」
(広辞苑 第六版より引用)
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 ?????? クシィは校長を巻き込みたくなかったら、「真面目な奴」なのでしょうか。こういうときって、献身的とか自己犠牲とか、大切なことは全部自分だけで決めてしまうとか、そういう言葉を選ぶべきな気がします。でもそんな言葉も適切でないように思います。こういうときは言葉すら使わないで、「お前って奴は」というところで留めておけば何ら問題無かったように思いますね。
 まあ細かいことですけど、見た人に誤解を生むような表現は止めた方がいいというか。小さな子が今作を観て、自己犠牲に励むことや、友を犠牲にしない選択をすることを真面目だと思ったらどうするのやらっていう、そういう感じ。
 筆者はこういう、言葉の誤用とか言動の倫理観とか、どうしても気になるので懲りずに突っ込んでいくと思います。補習メイトが初めてナシマホウ界を訪れたときの、ジュンの「遊びに『来る』」発言からこっち、今作言葉遣いがおかしいところがありますからね。……一応、「遊びに『行く』」が正解ですしね。

 基本的に最初に書いたとおり、この話だけ見れば概ね問題の無い内容だったと思います。物語における重要な要素が並べ立てられているので、その情報量の多さにも楽しさを得ることができたのではないかと思います。作画もまほプリの中では映画を除いて一番良かったですから、動きを見るだけでも楽しめたことでしょう。
 ……筆者のように捻くれていなければ。筆者はもう、今作に対してはマイナスのバイアスがかかった状態で見ているので、そういう見方はできません。というか、伏線回収を始めた作品に「今までのことを無視すれば」って言うのは、さすがに無理があります。でもその方が確実に面白いのだからしょうがない。
 恐ろしいほど矛盾を孕んでいるわけですが、どう書けば良いかわかりません。
 要は、この回はデウスマストの眷属との戦いが始まったところから見始めた人が、一番楽しめる作りになっている。

 逆に言えば、最初から見てきた人にとってこの回は地獄に等しいです。過去を知っているからこそ、苦しめられるのです。
 バッティなんて、満足げな表情で「帰ろう」なんて言える立場のキャラクターじゃないですからね。プリキュアに襲いかかっていたのは事実なのですから。プリキュアたちと交流させないことで、勝手に落ち込んで勝手に立ち直って去っていったことにしても、結局彼がした悪行への諸々を宙ぶらりんにしたまま片づけた事実は変わらないのです。それが例え仕組まれて行ってしまったことだったとしても。
 ドクロクシーの姿を模したカカシは、ヤモーが主を見立てて作ったものでした。そこには、ドクロクシーの意志を継ぎ、闇の世界を作るという忠義と使命感が込められていました。けれどプリキュアはそこに、当時何の感慨も覚えませんでした。そんなことがあった状況で、「人間の心には強さや一途な思いがある」といった言葉を並べ立てても、説得力はありません。
 これらが起こった原因は明白でしょう。それは、バッティのところでも触れたとおり敵との交流を努めて希薄にしたからです。また、彼らの矜持も、ガメッツやヤモー以外は示してこなかった点も関係しています。
 だから、スパルダが自分の手で闇の世界を作るのだ、というのをオルーバに立ち向かう形で宣言させても妙な心地がするのです。え、この宣言こんな肯定的な描き方をして大丈夫なの? といった具合に。こういう違和感が、歪な印象に繋がるというか。
 ここら辺、今作が持つ特徴でもあると言えます。プリキュアも戦う理由は中盤みらいが校長に日常を守る宣言をするまで不明確でした。言うなればプリキュアだから戦っている、襲われるから戦う、くらい。バッティとスパルダも同様だったという話なのです。
 まあバッティはスパルダに比べれば、その心情が詳しく描かれた方だとは思います。但し、バッティがドクロクシーに忠誠を誓うまでの掘り下げは、当時シャレにならないほどストーリーがしっちゃかめっちゃかになっていて、話として成立してなかったのですよね。心理描写という大事な部分で、一話ごとに言っていることが違うという状況でしたから。
 18話あたりからのドクロクシーとの対決に至るまでの部分ですね。当時自分が今作に見切りをつけたきっかけになったので覚えています。
 といっても闇の魔法つかいたちが、目的だけ示されてその理由が何故示されてこなかったのかという点だけは、今回伏線として回収されたという形になるのでしょう。裏で手引きをされていたから、具体的な理由がなかったのです。

 一応、今回の内容って悲劇的ではあるのですよね。災いから世界を救おうとしていたのに、結果として災いに荷担していたという話になっているのですから。
 その点からも、今作は子供向けではないなと思うわけです。子供向けではないこと自体は、個人的には全く問題ないことだと思います。大人になって思い返したとき、感銘を受ける良いきっかけの一つになりますからね。
 よく言えば、「世の中上手く行かないこともある」と示しており、踏み込んだ表現をしていると言うこともできるでしょう。ただ、今作を全体的に見通してみると、やり過ぎではないかとは感じています。何せ同時に、屁理屈で切り抜けておとがめ無しな描写もかなり入れてきていますから。というか、印象としてはこっちの方が強いです。「良いことをしていれば自分に返ってくる」のアンチテーゼなのかもしれませんが、過剰な気がします。

 筆者は今回の内容だけ見れば、本来は、踏みにじられた信念を救うべきではないのかとは思いました。要はヨクバールに加勢しようとすれば良かったんじゃないのと思ったという感じ。あくまで「しようとすれば」です。プリキュアが戦うことは、オルーバの術中にはまることになりますからね。闇の本に力が注がれるからです。なので、ミラクルが戦おうとして、マジカルに止められる位のことを描けばいいのです。あるいはバッティに邪魔をするなと言わせるか。
 ただ、圧倒的な信頼感の元、そんなことしないだろうとも思っていました。そう言う作品だし、みらいたちにとっちゃ蚊帳の外、対岸の火事ですからね。彼女らは日常を守るため、それを脅かす敵を倒しはします。ですが、デウスマストの眷属に荷担してしまった者を救うのは管轄外なのです。どう足掻いたって傍観者なのです。
 そんなわけで加勢しようとしたところで、それはそれで文句を書いていたと思います。彼女らにはその理由がないから。その証拠に、今回フェリーチェがヨクバールを擁護していましたけど、筆者は良い印象持っていませんからね。だって以前にヤモーの思いを無視していたことが思い出されるから。
 なので、今回の限り無く傍観者というプリキュアの立ち位置は、できうる最善だったとは思いますよという奴で。よく矛盾のでないよう展開を選び取れたなという。
 つまり今作って、それくらいどん詰まりにある作品だと言うことなのです。そりゃあ、腑には落ちないですよ。でも今作に「ヒーローはこうすべき論」は通用しないわけです。そういう作品なのだから、その前提で見るべきでしょう。嫌だけど。

 予想通り、オルーバの口からフェリーチェの正体が明かされました。ここからはみらいの「はーちゃんははーちゃんだよ」へ続くことでしょう。
 正直、やっと今作の足場が見えたといった心持ちです。これは喜ばしい。あくまで展開が予想できることが喜ばしいだけで、スタンスは受け入れがたいですけど。
 今作、運命や義務がキャラクターに与えられることを極力避けているのはわかるのです。だからフェリーチェがラパーパの力を受け継ぐという要素は、ここまで取っておいた、というやつなのかなと。
 そういう運命や義務があるからではなく、「みんなのことを守る」というのはことはが決断したことなのだとさせたいのだろうなとは思います。インタビューでそのようなことも言っていましたし。
 本来はみらいとリコに対してもそう描きたかったのでしょうが、まあ、成功したとは言えないと筆者は思いますね。
 個人的には、運命や義務を与えられる事ってそんなに悪いことなのかなって思っちゃうんですけどね。受け入れるにせよ拒否するにせよ、向き合うことに意味がある。みらいとリコは不幸にもここら辺を上手く描いてもらえなかったですからね。向き合ってこなかったことさえ、描いてもらえなかったというか。何せ彼女らも「伝説の魔法つかい」なのですから、ある程度責務はあるはずでしょうし。まあ、描かないのが作風といったらそれまでなのですが。
 ともかく、ことはの方は描くことになるようで、どうなるかなといったところ。

 何というか、後半になってからあからさまに敵キャラの矜持やらことはの責務やらを描き出したことを考えると、販促から解放されたのだろうなと言うのが感じられてならないですね。
 まあ、あんまり書くことでもない気はするのですが。

 校長とクシィの諸々は、上記の「真面目」という評価への突っ込み以外は特に書くことがないですね。
 かつての同級生だったとか、途中で道を違えたとか、校長を巻き込みたくなかったとか、違和感なく見られたと思います。唐突さはもう、しょうがないでしょう。校長、一応主役じゃないので。主役じゃないキャラで話を組んでいるあたりが、なおさら販促からの解放ということを思わせますけども。ここら辺の評価は自分の中では定まってしまってますね。これくらい深く描きたかったなら、校長のような設定を持つプリキュア(主役)を用意しておくべきだったね、とだけ。
 ただ、バッティがクシィと似ているという点は、自分はバッティと言うキャラを計りかねているので、何とも言えませんけども。

 オルーバに関しては、設定を雪崩のように放出した点はやむを得なかったのだろうとは思います。だってそう言う作風だしな、敵の計略なんてさらっと流すよなくらいに思っているので。
 ただ、ショー会場へワープさせた部分はなんだか間抜けでしたね。
 バッティだけ置き去りにされたけど、空を飛んだらそこでした、というのはさすがにシュールすぎる。バッティを活躍させなければいけない関係上、近場だったのだろうなとは思いましたが。

 そういえば前回の予想で、ヤモーも復活するはずだと書いていましたが見事に外れましたね。
 で、思ったのですけど、今回ってもしかするとバッティが信念を取り戻す成長の物語だったのでしょうか? なんだかヤモーがドクロクシーの人形を引き連れて、激励しているように見えたので。
 個人的にはバッティが今回繰り広げた口上、ヤモーがやった方が感動したろうなとか思っちゃっているわけですけど。

 というかバッティたちに、自分たちの主は実を言うと世界を救おうとしていたのだと気づかせるくらいのことはして良かったのではとか、筆者は思ったりしました。
 ……さすがに、それは話が複雑になり過ぎて収拾がつかなくなるか。とりあえずバッティたちの話はここで終了といったところでしょう。さすがにデウスマストとの戦いには、現れないと思います。たぶん。

 キャシーが校長とドクロクシーとの関係を話し出す部分は良かったですね。いちごメロンパンの買い物に付き合って、校長のいないところで実は、と語り出す。
 明るく振る舞っているけど、本当は心を痛めているのだと言うことを、そばにいる者がみらいたちへ伝える。そんな気遣いの描写がされたことに、わりかし驚きました。驚いた時点で、筆者は相当ひねくれて今作を視聴しているのだなと思ってしまいましたが。

 あと細かいですが、小学生時代の同窓会ってやるんですかね? なんか、せめて高校とか大学な気がするというか。50年ぶりに集まるということに、途方もなさを感じます。まあみらいの祖母はありえた、という話なだけなのですが。
 ともかく離れていても心は繋がっているという、校長とクシィの関係を示すために描かれたわけです。再会すれば前のように明るく話し合えたと言った形で。
 何というか、みらいにとっては校長とクシィの関係は、祖母と小学生時代の同級生と同じレベルなのかと思うと、個人的には複雑な思いがしますね。
 話の締めとして「心は繋がっていた」という部分を描いたことは良かったと思うのですが、少し気になりました。ただ、これはいちゃもんレベルだと思います。わかりやすくて良かったと思います。

 次回はクリスマスで、サンタ姿でプレゼントを配るそうです。
 サンタは魔法つかいとかそう言う部分はともかく、ベニーギョがなにやらギャグ調で不穏な動きをしていますね。……大丈夫でしょうか? オルーバという仲間が一応倒されたばかりなわけですが。はてさて。

 備忘として、リンクルストーンのミトメールをまとめてみました。何か法則性が見つけられると良いのですが……。
 「守りの石」と「支えの石」の交互の法則が崩れました。ただ、ここからは認められる度に、何かしらの強力な力を発揮する可能性が高くなったように思います。理由は全くわかりませんけども。
 後は中心の輝き(1個)と、新たな伝説(1個)。エメラルドとアレキサンドライトはミトメールの判定があるのか。まあ追々。
 あと、魔法界をメインにする場合は、ミトメールが発生しないのかと思ったら42話で法則が崩れました。
++リンクルストーン認められたメモ++
32話「ワクワクいっぱい!はーちゃんの学校生活!」 :トパーズ『ワクワク』、守りの石
33話「すれ違う想い!父と娘のビミョ〜な1日!」 :ムーンストーン『月』、支えの石
34話「ドキドキ!初恋の味はイチゴメロンパン!?」 :ルビー『情熱の炎』、守りの石、
35話「生徒会総選挙!リコに清き一票を!」 :ガーネット『大地』、支えの石
36話「みらいとモフルン、ときどきチクルン!って誰!?」 :サファイア『おだやかな気持ち』、守りの石
37話「魔法が決め手?冷凍みかんのレシピ!」 :なし
38話「甘い?甘くない?魔法のかぼちゃ祭り!」 :なし
39話「今日はハロウィン!み〜んな笑顔になぁれ!のかぼちゃ祭り!」 :アクアマリン『氷』、支えの石
40話「愛情いっぱいのおめでとう!リコの誕生日!」 :タンザナイト『宇宙』、支えの石。シャーキンスの異世界を払った。
41話「ジュエリーな毎日!魔法学校へ放課後留学!」 :なし
42話「チクルンにとどけ!想いをのせた魔法のプリン!」 :アメジスト『扉』、支えの石。扉が出現した。
43話「いざ妖精の里へ!あかされる魔法界のヒミツ!」 :なし
44話「モフルン大奮闘!みんな子供になっちゃった!?」 :ピンクトルマリン『花』、支えの石。オルーバの拘束を破り、ガメッツを吹き飛ばす力を得た。
45話「想いは時を超えて…!友情のかたち!」 :なし
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魔法つかいプリキュア! Blu-ray vol.1

 ※上記以外の物でも良いので、リンク踏んで何かを買っていただけると励みになります。



過去感想は下記より
アニメ感想:2016年秋期まとめ